本能寺

ほんのうじ

基礎情報

本能寺(ほんのうじ)」は、京都府京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町にある寺院。法華宗本門流の大本山で、創建当初の表記は「本応寺」。

織田信長が生涯を終えた「本能寺の変」(1582年)の舞台として特に有名だが、当時は別の場所(元本能寺南町)にあり、本能寺の変より10年後の1592年に豊臣秀吉の命により現在の位置へ移された。当時の所在地には「本能寺址」として付近に石碑が建てられている。

また、本能寺の変も含め、焼失と再建が幾度も繰り返された歴史を持ち、現在名称の「能」に当たる字は「匕(火)」を嫌って異体字が使用されている。

本堂、表門、信長公御廟所拝殿は国の登録有形文化財であり、国宝の「伝藤原行成筆書巻」(本能寺切)をはじめとした文化財も所蔵している。

「水曜どうでしょう」では

  • 【試験日本史】で現在の「本能寺」に訪れ、織田信長についての最後のフィールドワークとなった。

本能寺

「水曜どうでしょう」での登場シーン

試験に出るどうでしょう 日本史

第3弾にしてついに大泉校長自ら教鞭をとり、主に小芝居を用いて織田信長・天下布武への足跡を追った試験に出るどうでしょう。

三河の国(愛知県東部)を出発したクライマックスの3日目、「長篠城」での授業を終え、信長最後の地へ。

「信長の軍勢は中央の京都付近で少なくなっております」「そこで信長に悲劇が襲うわけですね」
「信長の最後の地を見て、この信長の授業終わりと」

宿敵・武田氏を滅ぼし、その後京都を中心に畿内を掌握、より遠方へと目を向けていった信長。

前日には滋賀県「小谷城」から三河へUターンとなっていたどうでしょうゼミナール一行も、いよいよ上洛が叶う。

「校長…団子食いたいですなぁ」
「現代の本能寺…」「昔とは場所が違うんですね」

自ら積極的に出陣して日本全国を支配下に置く決意であった信長は、備中で中国攻め(中国地方の毛利氏への進攻)の最中であった羽柴秀吉からの応援要請により、明智光秀に援軍の先陣を命じ、自らも京へ入る。

しかし亀山城を出発した明智軍が向かったのは備中ではなく、信長が宿所としていた「本能寺」であった。

「1582年…」
是非に及ばず

「本能寺」での授業は歴史小芝居もなく、VTR中心で行われた。

(※VTR中の「敦盛」の一節には一部誤解がある。実際は、“人間”とは人の世界、“下天”とは天上界の内のひとつであり、異世界と比べた人間界の時間の儚さを意味しているとされる。)

信長、49歳でその生涯を終える。

ともあれこれにてすべての授業(フィールドワーク)を終えたゼミナール一行は、京都の団子を頬張り一息ついた。

「じゃ!お団子の方…」
「信長より団子だね」

※水曜どうでしょうDVD第25弾「5周年記念特別企画 札幌~博多 3夜連続深夜バスだけの旅/試験に出るどうでしょう 日本史」/北海道テレビ放送株式会社 より

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